少イ左の部屋_
ドット絵とゲーム制作など
2021/02/28 Sun.
雑記です 
ひたすらに雑記です。
■自分の生き方について
大学の話からスタートするが、まず工学系で阪大に入ってそのまま大学院に進み、脳の研究をして生物学の修士を取った。就職は技術職で採用されたのに、すぐ経営企画に回されて10年以上経った。阪大に入ったのは前期試験でうけた兄と同じ大学に落ち、他に志望もなかったので、後期で近所の大学を受けたというだけである。前期を受けたのは兄がそこに居たからで、大学院に進んだのは同期に誘われたためである。就職も自分のバックグラウンドなど関係なく、拾ってくれたところに行っただけである。何かになりたい、といった自分の欲求を認識できるほど渇望を感じた事がなく、本当に流されて生きているし、その自覚もある。
一方で創作はというと、大学入学後に初めてプログラミングを勉強し、それに合わせてドット絵を描き始めたことがスタートである。修士になる頃にはPixeljointという海外のドット絵投稿サイトでインタビュー記事も作って頂いた。Pixivで知ってくれている人もいるかもしれない。それまでイラストを趣味で描くような事もしてこなかったので、美術的な素養は一切ない。単純に、滑り止めで入った大学に退屈し、かといってゲームをしても心躍るものがなく、無いなら自分で作ろうと思っただけがきっかけなので、正しくはドット絵を始めたのではなく、ゲーム作りを始めたのである。
今は教授になられている長慎也先生が、オブジェクト志向のプログラミング学習用言語Tonyu systemを開発されており、BBSの方々も非常に親切で、かつ素早く組めるので、気に入ってゲームを作っていた。創作物に比較的アニメーションが多かったのはゲーム向けに山ほどアニメーションを打っていたからである。
しばらくゲーム制作をしたが、品質を上げるためにはドット絵そのものも練習しなければダメだ、と感じ、そこからはドット絵に軸足を移して、今に至っている。稀にグラフィック系の仕事をしていると思われる事があるが、継続して創作は趣味である。
残業も多いので、平日の帰宅後は筋トレをして寝て、創作は休日の体力があるときだけに限定している。このためコミッションを受けるのも難しく、創作ペースも遅いのが実態である。筋トレをするのは仕事に向けて体調を100%整える必要があるためである。
非常に中途半端な立ち位置であるため、これを念頭に置いて(参考にすべきかどうか)、以下の話を読んで欲しい。アマチュアの説教など聞いても意味はないと考えるのであれば、読む必要は全くない。
■こまかいtipsについて
・個々のtipsはいろいろな人が参考になる記事を書いているだろう。
Saint11氏の素晴らしいまとめ
Derek氏のドット絵概説
PixelJointのtutorial
"pixelart" "tutorial" "tips"などで調べればいくらでも出ると思う。
・ソフトウェアの選択肢も今は非常に多い
Aseprite:有料だがドットに特化してすべての要素が含まれている。時短。
GraphicsGale:無償で、ドットを打つならこれで十分。私が使用している。
Piskel::無償のオンラインドット絵エディタ
Photoshop:有料でグラフィックに特化するがドット絵専用のソフトではない。ドット絵も十分打てる。
Edge2:有償だが日本人に使いやすいドットに特化したエディタ
他にもたくさんあるが、仕事で使うのか趣味で使うのかなどで推奨できるものは変わるので、自分で判断したほうが良い。どれを使っても、MSペイントでも、マウスかペンタブがあればドット絵は打てる。
■創作の取り組み方に関して
ここでは精神的な話で申し訳ないが、細かい技術よりも、創作上で私が重要と考えている点について書く。
「完成させる計画」
完成する作品はだらだら創作を続けて完成するのではなく、ゴールを作る事で完成する。でなければ追加要素、追加要素で終わらないのである。これはドット絵もそうだがゲーム制作で特に重要だし、多くの人が述べていることだと思う。
具体的にどうすればよいかだが、目的と完成形を最初に検討し、そこに必要最低限な要素だけを作る計画を立て、工数を算出する。この時点で結構時間がかかりそう、、、とわかっているならそもそもやらないほうが良い。
ゲーム制作の場合、実際着手してみて、グラフィックなどを強化することよりも先に、とにかくメニューとスタートとゴールを作る。敵がいなくてもいい。キャラクタのモーションがしょぼくてもよい。当初目的としたこの作品の骨子だけがシンプルに織り込まれて、ゲームとして動けばそれで完成である。残りは追加要素として、個々に工数を鑑みながらアップデートしていくことで、常にゲームとしては完成した状態で進めることができる。
ドット絵のシリーズ作などを作る場合は、まず単体を作ってその時間を測り、最終的に目指すものをにかかる時間を概算して、できると思ったら着手すべきで、時間は考えないことにしてとにかく手を動かす、ではペースを維持できないことが多い。
「見切りをつける判断」
取り敢えず自分がやってみたい事をトライしてみる、という遊びとセットの概念で、やってみたけど最終的に自分の想定した面白さが出せない、と感じた時点で、理由を整理して、そのプロジェクトは終えるという事である。これが出来ないと有限の時間の中で、完成しても評価されないものに時間を費やすこととなり、苦しみしか生まない。理想は完成させる事だが、遊びを行う余地がなければ、技術の幅や発想の幅が広げられない。
何をやっても完成しないなら、それだけ完成しなかった反省点があるわけだから、完成させられる規模のものから開始すればよい。完成しなかったことそのものが悪ではなく、完成しなかったことに対して反省しなかったことが悪と捉えれば、やったことは無駄にはならない。
「ドット絵の色数の制限について」
ドット絵の解説などを見ると色数の制限について述べているものがあるが、データ容量的な制限がない限り、色数は制限する必要はない。
ただし、そもそもイラストレーション、ひいてはデザインにおいて、美しい状態というのは必要なものが必要な位置にあり、余分なものがない状態であるため、色数が多いことはそれだけで美しさを損なうリスクを生む。色に関して非常に力量があれば、どれだけ色数を増やしても全体のパレットに統一感を持たせることは可能だが、この場合は油彩や水彩などを先に練習したほうが良い。要は無駄な色が悪で、無駄ではない色はいくらあっても問題はないのであるが、何が無駄で何が無駄ではないのかが判断できないのであれば、先にその目を養う訓練をしたほうが良いということである。
「ドット絵のサイズの制限について」
ドット絵の解説などを見ると、まずキャンバスを32*32でやってみましょう、といった記述のものが多いが、手始めとして大きいサイズのドット絵を打ってもなんの問題もない。ゲームに使用するなどの制限がない限り、サイズ制限自体に意味はない。特に海外のドッターは油彩などから転向している方が多く、非常に大きいサイズのドット絵が多数存在するのは、PixelJointを見れば明らかである。
ただし、小さいサイズのドット絵を拡大して印刷する分には無駄な要素が少なく美しいが、画面上は美しく見える大きいサイズのドット絵を等倍で印刷しても、ただの解像度の荒いイラストに過ぎず、通常のイラストに対して優位性を示すことができない。この点で、アナログに耐えるものを検討していくと、ある程度のサイズに限定されることになる。
「上達する方法について」
色数を制限する理由がわからなければ自分で多色使用を試してみればよく、サイズもデカいものを作ってみればよい。
「多色でも美しくできる」「サイズがデカくても美しくできる」など仮説を構築し、検証実験を行い、結果を整理する、実験的なアプローチを繰り返す事で画力が上がり、それに伴って評価が上がる。自分にない視点での結果に対する評価については真摯に内容を受け止め、反省点に追加する。水彩や油彩などほかの技法の画像をドットに落とし込み、タッチを模倣するのも良い勉強になる。特に写真をドットに落としてみると、同じ色のスポイトでは暗くなりすぎるため、色と使用面積の関係がいかに密接か体感できると思う。
「イラスト制作の戦略について」
昔から特に意識しているのは制作する意義や、評価を得るための戦略についてである。
ポイントは「他人の評価を得るために作る」ことと「自分の欲求に準拠したものをいかに評価される形に落とし込むか」は全く別物で、後者は表現技術の上達に向けた技術に過ぎないという点である。
先日、鳥のドット絵を打ったが、これはtwitter上で比較的広く拡散した。これを例にして戦略の意義について述べる。
【フィーリングで制作した場合】
①鳥を打ちたいウェーイ
②アイコンっぽい感じでアウトラインつけて何個か作ろう
③好きなオウムとスズメとカラスとペンギン打ったったドヤ
④完
→ゲーム風で、もともとの鳥のサイズを無視して、全体の色バランスがとりにくい配色の鳥のセットが完成
【今回の私の思考】
①鳥を打ちたい
②野鳥観察もしており、勉強のために「日本の野鳥」も購入したが、秋篠宮さんの著作である「日本の家畜・家禽」「欧州家禽図鑑」なども資料としては素晴らしく、どのようにまとめるべきか
③コロナ禍における生活向上に向けて、野鳥観察の趣味は健康面でも精神面でも、国境に関係なく推奨できる趣味であるため、この方向で進めたほうが評価しやすいだろう。逆に家禽はニーズが限定されるほか、品種が国内外で大きく限定されるため、共感を呼ぶのが比較的難しいジャンルである
④広く一般的に共有されるためには媒体による制限を受けない表現が望ましい。細かく打ち込んだドット絵は印刷に耐えられないため、今後印刷やスタンプ、刺繡などに展開する人がいる場合に品質を維持できないと思われる。であれば最低限のサイズで、ゲーム風に見えてしまうアウトラインもつけず作るのが良いだろう。油彩から入った人間はデカい鳥を打つのは上手いが逆に極小サイズで打つのは難しく、ドット絵から入った人間はゲーム風はできるがアナログデザインを意識した制作が少なく、デザインから入ったドッターは風景と人間ばかり打っているから、ドット絵の制作物のニーズとしても隙間にあたるだろう。
⑤野鳥観察をテーマにするのであれば、身近にいる鳥が良いだろう。実際に野鳥観察を趣味にする方から見ても肯定されるためにはうわべだけ、見栄えだけいいものを作るのではなく、地味な鳥も織り交ぜて、身近な鳥をまとめるのが良いだろう。このため、「日本の野鳥」に含まれる、見かける頻度が多い鳥とされるものをすべて打つのが良いだろう
⑥まずそれらをエクセルファイルで列挙し、工数や順序を明確にするため、科ごとに分類し、サイズと学名、英名、和名などを列挙しよう。
⑦水鳥は見かける頻度が多いが雌雄、年齢、季節で見た目が変わるものが多く、同じ形でまとめるのは困難である。また体長が32センチ以上のものになってくると、最小の鳥に対してサイズが非常に大きくなり、意図した印刷時の見栄えに耐えないものが生じる。このため大サイズのものはすべて省略しよう。
⑧一通り打ったが全体の配色の関係上、青系統のものが少ない。このため頻度はレアだがファンの多いルリカケスやオオルリを混ぜて、全体のバランスを取ろう。配色のバランスは無理に色数の制限はせず、本来の鳥の色をなるべく使用しながら、影色と明色の限度だけは制限し、全体でバランスを取ろう。
⑨学名は日本人にとっても外国人にとってもなじみが薄いため、まずは日本の鳥なので和名をつけよう。そのうえで、英名をつけたものも制作したほうが、共有されやすいだろう
⑩完
私にとっては自分が打ったものが拡散し、好きなように使われることが最も有難いことである。海外の野鳥保護団体やボードゲーム会社、文房具店などに広がり、印刷物が欲しいという要望が出た点を考慮すると、上記の戦略は成功しているといえる。
「色と形態について」
昔はこの色が好き、といった拘りもあった。PJのインタビューでも好きな色として特定の色を答えているが、今となってはまた考えが変わっている。
大学院では視覚の研究をしていたので、まずその知識をざっくり書く。
・人間の網膜には明度を感知する杆体細胞と、光の3原色を感知する錐体細胞が分布している。これは種によって種類も数も異なるし、イカに至っては網膜の構造からして反転している。RGBが原色なのではなく、細胞がその波長の光を最も検知するからRGBと呼んで原色扱いしているのである
・明暗と色を検出する細胞は、網膜の水平細胞、双曲細胞、アマクリン細胞、神経節細胞などに情報が伝えられる中でデータが加工される。つまり網膜の時点で単純に受け取った光をそのまま脳に送るのではなく、明るさや色の差だけを強く検知したり、動きに強く反応したり、実際の光が弱すぎる場合でも広く強調して知覚したりと、生きるために必要な内容へ加工している
・この情報は外側膝状体を経て大脳皮質へ伝えられ、ほかの感覚情報ともすり合わせて認知される
・水彩錯視は輪郭における色情報が強調されることを示す
・チェッカーシャドー錯視や色の同化は視覚が単純に色の絶対値ではなく、周囲の色との比較で検知されることを示す
・カニッツァの三角形は断片的な図形情報から輪郭を再構成しようとする視覚の働きを示す
・カフェウォール錯視やへリング錯視も直行性に関する視覚が周囲のパターンによって歪められることを示す
こういった点からまず言えることは、特にドットは拡大して局所だけを見ながら制作することが多いが、最終的なアウトプットとして縮小した時点で、これらの錯視の効果を受けて、得られる印象が大きく変わることがある。なぜか歪んで見えたり、思ったより色が赤く見えたり、きっちり位置を合わせているのにずれて見えたり、である。これについて、最終的なアウトプットを上げるためには無理にドット配置の制度に拘らず、感覚的に自然に見える位置に寄せたほうが良い(感覚に合わせた補正を意図的にかける)という点である。これはフォントを制作する方は重々理解していると思うが、Oの最下部の位置をEなどと比べて少しだけ下げたり・・といった調整と同じことである。錯視について学ぶことも効果的かと思う。
また配色については上記の効果も鑑みると、絶対的な色というものが存在しないわけだから、常に同じパレットで同じような配色比率を用いないのでなければ、こだわりを持たないほうが良い。暗色や明色を統一したほうが全体の配色をまとめやすいとは思うが、特定の色が常に同じ効果/印象を持つという考えは捨てたほうがよく、同じパレットを使ったとしても配色比率を変えるだけで印象は大きく変わるだろう。
「レンズ交換式一眼レフについて」
ドット絵を打つのにカメラの必要性、ないですよね。
私も携帯以上の撮影機器を持つ必要性が全く分からなかった。
つまがカメラを持つ必要が生じたことで、オリンパスのOMDを購入したのだが、これによって
・ドット絵の印刷物
・ドット絵の刺繍
・ドット絵の技術を活用したグッズ
・ドット絵を表示した画面
などをiPhone以上に美しく撮影できるようになったため、単純に個々人の画面で表示させて終わり、以上に印刷した場合の見栄えや、ドット絵を活用したほかの表現技法について、常に意識を回すようになった。しょぼいドットのイラストであっても、それを映した画面を一眼でうまく撮影すると、一気にオシャレ感が増す。オシャレ感が増せば作品の説得力や評価をそれだけで上げることができる。
ゲーム用途などで純粋なドット絵の技術を追求している方には余計な情報で甚だ恐縮だが、そこからの出力を創作として表現する場合、一眼レフをお持ちになっても宜しいんじゃぁないかしら、と今は考えている。創作の方向性としてドット絵をデザイン側に寄せたい場合かな。
ちなみにOMDはオリンパスが売却することになった・・・レンズ資産大丈夫ですかね・・
■仕事と創作のバランスについて
現在の作業時間の比率は以下の通り。
平日:ほぼ勤務→筋トレ→就寝(創作は稀)
休日:体力がある場合、家事をのぞけば創作可能。ただし外出や資料検索も結構かかる
以前は朝5時半に起きて出社し、23時に退社して帰宅しようとしたら電車が人身事故にあい、途中から徒歩で帰って2時に就寝し、翌朝5時半にまた起きる、といった週もあり、過敏性腸炎が収まらず、白髪がものすごい増えるという謎の症状が出た。
残業については土日出て月の残業時間が80時間、のほうが、土日出ずに60時間よりも楽な感があるので、単純に時間だけでしんどさが図れないことと、それ以上に人的環境が劣悪であれば、受けるストレスは比較にならないほど多いという点がポイントだと思う。ただ人的環境に問題がなくとも、ある程度以上の拘束時間になると必ず心身の異常が出るため、心療内科(東京は激混み)に行って診断書をもらい、無心で会社に提出して勤務体制を変えるか退職したほうが、長期的に損なう肉体的損失と比べると、良い。
また体力を維持することは仕事においても創作においても極めて重要で、毎日少しずつでも時間を割いて意識的に健康維持に努めたほうが、創作に割ける時間は結果的に増えた。このため平日に筋トレが含まれている。
今はコロナでだいぶましになり、残業も月25時間程度なので、創作頻度はそこそこ上げられる。これから就職する人で、働きながら趣味で制作を続けたいという場合も、水準としてはこのくらいの時間が担保されることになるのではないか。もちろんグラフィック系の仕事に就くのであればそれに越したことはない。私が現職を続けているのは単純に絵を描くより金になるからである。
■経営と創作について
最初に述べた通り私のバックグラウンドは経路がバラバラもいいところだが、経営企画という業種との親和性が非常に高いので、それについて述べる。
そもそも今の仕事の内容は
・ある程度以上の規模の会社になると、経営者一人で会社の意思決定をする手が回らず、情報を整理したり、決定した意思を実運用する面で、人手が必要になる。この補佐にあたるのが経営企画部門となる。
・具体的な仕事としては市場調査(ニーズ及び外部技術、国家戦略や予算配分、他社の戦略や決算状況・投資計画等)、戦略立案(どんな投資して新しく事業を始めるか、どの事業をやめるか、技術や販路を目的として他社を買収するか、など)、計画策定(結局会社全体としてどのような方向に進めていくか)、計画管理(立てた計画通りに事が進んでいるかのチェック)等がある。会社によっては人事も経営企画部門に含まれるし、管理会計(自分の会社の何が儲かっていて何が儲かってないかの分析など)や広報も含めることがあると思う。
で、要は経営をするのだが、経営を簡単に言うと「現状と理想像の差を埋める行為」である。
「現状」を正しく認識すること。「理想像」を策定すること。周りも見ながら「差を埋める方法」を考えること。「差を埋める方法」を実行すること。などに分解され、これが先に書いた機能ともリンクするが、結局のところこの行為は実験計画の立案などと大枠は変わらない。さらに言うと創作の上達方法とはっきり言って同じである。
あくまでも個人的な意見だが、理想像を頭で描くのはできても、会社全体で統一したイメージを共有するのは意外と難しく、この点でデザインに強いと非常に有利である。また創作に慣れている場合は上記の考え方や課題解決(そもそもデザインという行為が課題解決だが)に慣れているため、下手に会計だけを学んだ人材よりも役に立つと思う。私は生物学から入ったが、確かにナノバイオ領域の事業もあるものの、大学の勉強よりも創作の知見のほうが100倍役に立っている。
というかこの「経営」の考え方はあらゆる課題解決に有効で、結局創作に本気で打ち込んで上達するサイクルが確立できれば、その知見は広く仕事に活かせるんだと思う。
要は創作しようぜ!という勧誘が要旨なのである。
■自分の生き方について
大学の話からスタートするが、まず工学系で阪大に入ってそのまま大学院に進み、脳の研究をして生物学の修士を取った。就職は技術職で採用されたのに、すぐ経営企画に回されて10年以上経った。阪大に入ったのは前期試験でうけた兄と同じ大学に落ち、他に志望もなかったので、後期で近所の大学を受けたというだけである。前期を受けたのは兄がそこに居たからで、大学院に進んだのは同期に誘われたためである。就職も自分のバックグラウンドなど関係なく、拾ってくれたところに行っただけである。何かになりたい、といった自分の欲求を認識できるほど渇望を感じた事がなく、本当に流されて生きているし、その自覚もある。
一方で創作はというと、大学入学後に初めてプログラミングを勉強し、それに合わせてドット絵を描き始めたことがスタートである。修士になる頃にはPixeljointという海外のドット絵投稿サイトでインタビュー記事も作って頂いた。Pixivで知ってくれている人もいるかもしれない。それまでイラストを趣味で描くような事もしてこなかったので、美術的な素養は一切ない。単純に、滑り止めで入った大学に退屈し、かといってゲームをしても心躍るものがなく、無いなら自分で作ろうと思っただけがきっかけなので、正しくはドット絵を始めたのではなく、ゲーム作りを始めたのである。
今は教授になられている長慎也先生が、オブジェクト志向のプログラミング学習用言語Tonyu systemを開発されており、BBSの方々も非常に親切で、かつ素早く組めるので、気に入ってゲームを作っていた。創作物に比較的アニメーションが多かったのはゲーム向けに山ほどアニメーションを打っていたからである。
しばらくゲーム制作をしたが、品質を上げるためにはドット絵そのものも練習しなければダメだ、と感じ、そこからはドット絵に軸足を移して、今に至っている。稀にグラフィック系の仕事をしていると思われる事があるが、継続して創作は趣味である。
残業も多いので、平日の帰宅後は筋トレをして寝て、創作は休日の体力があるときだけに限定している。このためコミッションを受けるのも難しく、創作ペースも遅いのが実態である。筋トレをするのは仕事に向けて体調を100%整える必要があるためである。
非常に中途半端な立ち位置であるため、これを念頭に置いて(参考にすべきかどうか)、以下の話を読んで欲しい。アマチュアの説教など聞いても意味はないと考えるのであれば、読む必要は全くない。
■こまかいtipsについて
・個々のtipsはいろいろな人が参考になる記事を書いているだろう。
Saint11氏の素晴らしいまとめ
Derek氏のドット絵概説
PixelJointのtutorial
"pixelart" "tutorial" "tips"などで調べればいくらでも出ると思う。
・ソフトウェアの選択肢も今は非常に多い
Aseprite:有料だがドットに特化してすべての要素が含まれている。時短。
GraphicsGale:無償で、ドットを打つならこれで十分。私が使用している。
Piskel::無償のオンラインドット絵エディタ
Photoshop:有料でグラフィックに特化するがドット絵専用のソフトではない。ドット絵も十分打てる。
Edge2:有償だが日本人に使いやすいドットに特化したエディタ
他にもたくさんあるが、仕事で使うのか趣味で使うのかなどで推奨できるものは変わるので、自分で判断したほうが良い。どれを使っても、MSペイントでも、マウスかペンタブがあればドット絵は打てる。
■創作の取り組み方に関して
ここでは精神的な話で申し訳ないが、細かい技術よりも、創作上で私が重要と考えている点について書く。
「完成させる計画」
完成する作品はだらだら創作を続けて完成するのではなく、ゴールを作る事で完成する。でなければ追加要素、追加要素で終わらないのである。これはドット絵もそうだがゲーム制作で特に重要だし、多くの人が述べていることだと思う。
具体的にどうすればよいかだが、目的と完成形を最初に検討し、そこに必要最低限な要素だけを作る計画を立て、工数を算出する。この時点で結構時間がかかりそう、、、とわかっているならそもそもやらないほうが良い。
ゲーム制作の場合、実際着手してみて、グラフィックなどを強化することよりも先に、とにかくメニューとスタートとゴールを作る。敵がいなくてもいい。キャラクタのモーションがしょぼくてもよい。当初目的としたこの作品の骨子だけがシンプルに織り込まれて、ゲームとして動けばそれで完成である。残りは追加要素として、個々に工数を鑑みながらアップデートしていくことで、常にゲームとしては完成した状態で進めることができる。
ドット絵のシリーズ作などを作る場合は、まず単体を作ってその時間を測り、最終的に目指すものをにかかる時間を概算して、できると思ったら着手すべきで、時間は考えないことにしてとにかく手を動かす、ではペースを維持できないことが多い。
「見切りをつける判断」
取り敢えず自分がやってみたい事をトライしてみる、という遊びとセットの概念で、やってみたけど最終的に自分の想定した面白さが出せない、と感じた時点で、理由を整理して、そのプロジェクトは終えるという事である。これが出来ないと有限の時間の中で、完成しても評価されないものに時間を費やすこととなり、苦しみしか生まない。理想は完成させる事だが、遊びを行う余地がなければ、技術の幅や発想の幅が広げられない。
何をやっても完成しないなら、それだけ完成しなかった反省点があるわけだから、完成させられる規模のものから開始すればよい。完成しなかったことそのものが悪ではなく、完成しなかったことに対して反省しなかったことが悪と捉えれば、やったことは無駄にはならない。
「ドット絵の色数の制限について」
ドット絵の解説などを見ると色数の制限について述べているものがあるが、データ容量的な制限がない限り、色数は制限する必要はない。
ただし、そもそもイラストレーション、ひいてはデザインにおいて、美しい状態というのは必要なものが必要な位置にあり、余分なものがない状態であるため、色数が多いことはそれだけで美しさを損なうリスクを生む。色に関して非常に力量があれば、どれだけ色数を増やしても全体のパレットに統一感を持たせることは可能だが、この場合は油彩や水彩などを先に練習したほうが良い。要は無駄な色が悪で、無駄ではない色はいくらあっても問題はないのであるが、何が無駄で何が無駄ではないのかが判断できないのであれば、先にその目を養う訓練をしたほうが良いということである。
「ドット絵のサイズの制限について」
ドット絵の解説などを見ると、まずキャンバスを32*32でやってみましょう、といった記述のものが多いが、手始めとして大きいサイズのドット絵を打ってもなんの問題もない。ゲームに使用するなどの制限がない限り、サイズ制限自体に意味はない。特に海外のドッターは油彩などから転向している方が多く、非常に大きいサイズのドット絵が多数存在するのは、PixelJointを見れば明らかである。
ただし、小さいサイズのドット絵を拡大して印刷する分には無駄な要素が少なく美しいが、画面上は美しく見える大きいサイズのドット絵を等倍で印刷しても、ただの解像度の荒いイラストに過ぎず、通常のイラストに対して優位性を示すことができない。この点で、アナログに耐えるものを検討していくと、ある程度のサイズに限定されることになる。
「上達する方法について」
色数を制限する理由がわからなければ自分で多色使用を試してみればよく、サイズもデカいものを作ってみればよい。
「多色でも美しくできる」「サイズがデカくても美しくできる」など仮説を構築し、検証実験を行い、結果を整理する、実験的なアプローチを繰り返す事で画力が上がり、それに伴って評価が上がる。自分にない視点での結果に対する評価については真摯に内容を受け止め、反省点に追加する。水彩や油彩などほかの技法の画像をドットに落とし込み、タッチを模倣するのも良い勉強になる。特に写真をドットに落としてみると、同じ色のスポイトでは暗くなりすぎるため、色と使用面積の関係がいかに密接か体感できると思う。
「イラスト制作の戦略について」
昔から特に意識しているのは制作する意義や、評価を得るための戦略についてである。
ポイントは「他人の評価を得るために作る」ことと「自分の欲求に準拠したものをいかに評価される形に落とし込むか」は全く別物で、後者は表現技術の上達に向けた技術に過ぎないという点である。
先日、鳥のドット絵を打ったが、これはtwitter上で比較的広く拡散した。これを例にして戦略の意義について述べる。
【フィーリングで制作した場合】
①鳥を打ちたいウェーイ
②アイコンっぽい感じでアウトラインつけて何個か作ろう
③好きなオウムとスズメとカラスとペンギン打ったったドヤ
④完
→ゲーム風で、もともとの鳥のサイズを無視して、全体の色バランスがとりにくい配色の鳥のセットが完成
【今回の私の思考】
①鳥を打ちたい
②野鳥観察もしており、勉強のために「日本の野鳥」も購入したが、秋篠宮さんの著作である「日本の家畜・家禽」「欧州家禽図鑑」なども資料としては素晴らしく、どのようにまとめるべきか
③コロナ禍における生活向上に向けて、野鳥観察の趣味は健康面でも精神面でも、国境に関係なく推奨できる趣味であるため、この方向で進めたほうが評価しやすいだろう。逆に家禽はニーズが限定されるほか、品種が国内外で大きく限定されるため、共感を呼ぶのが比較的難しいジャンルである
④広く一般的に共有されるためには媒体による制限を受けない表現が望ましい。細かく打ち込んだドット絵は印刷に耐えられないため、今後印刷やスタンプ、刺繡などに展開する人がいる場合に品質を維持できないと思われる。であれば最低限のサイズで、ゲーム風に見えてしまうアウトラインもつけず作るのが良いだろう。油彩から入った人間はデカい鳥を打つのは上手いが逆に極小サイズで打つのは難しく、ドット絵から入った人間はゲーム風はできるがアナログデザインを意識した制作が少なく、デザインから入ったドッターは風景と人間ばかり打っているから、ドット絵の制作物のニーズとしても隙間にあたるだろう。
⑤野鳥観察をテーマにするのであれば、身近にいる鳥が良いだろう。実際に野鳥観察を趣味にする方から見ても肯定されるためにはうわべだけ、見栄えだけいいものを作るのではなく、地味な鳥も織り交ぜて、身近な鳥をまとめるのが良いだろう。このため、「日本の野鳥」に含まれる、見かける頻度が多い鳥とされるものをすべて打つのが良いだろう
⑥まずそれらをエクセルファイルで列挙し、工数や順序を明確にするため、科ごとに分類し、サイズと学名、英名、和名などを列挙しよう。
⑦水鳥は見かける頻度が多いが雌雄、年齢、季節で見た目が変わるものが多く、同じ形でまとめるのは困難である。また体長が32センチ以上のものになってくると、最小の鳥に対してサイズが非常に大きくなり、意図した印刷時の見栄えに耐えないものが生じる。このため大サイズのものはすべて省略しよう。
⑧一通り打ったが全体の配色の関係上、青系統のものが少ない。このため頻度はレアだがファンの多いルリカケスやオオルリを混ぜて、全体のバランスを取ろう。配色のバランスは無理に色数の制限はせず、本来の鳥の色をなるべく使用しながら、影色と明色の限度だけは制限し、全体でバランスを取ろう。
⑨学名は日本人にとっても外国人にとってもなじみが薄いため、まずは日本の鳥なので和名をつけよう。そのうえで、英名をつけたものも制作したほうが、共有されやすいだろう
⑩完
私にとっては自分が打ったものが拡散し、好きなように使われることが最も有難いことである。海外の野鳥保護団体やボードゲーム会社、文房具店などに広がり、印刷物が欲しいという要望が出た点を考慮すると、上記の戦略は成功しているといえる。
「色と形態について」
昔はこの色が好き、といった拘りもあった。PJのインタビューでも好きな色として特定の色を答えているが、今となってはまた考えが変わっている。
大学院では視覚の研究をしていたので、まずその知識をざっくり書く。
・人間の網膜には明度を感知する杆体細胞と、光の3原色を感知する錐体細胞が分布している。これは種によって種類も数も異なるし、イカに至っては網膜の構造からして反転している。RGBが原色なのではなく、細胞がその波長の光を最も検知するからRGBと呼んで原色扱いしているのである
・明暗と色を検出する細胞は、網膜の水平細胞、双曲細胞、アマクリン細胞、神経節細胞などに情報が伝えられる中でデータが加工される。つまり網膜の時点で単純に受け取った光をそのまま脳に送るのではなく、明るさや色の差だけを強く検知したり、動きに強く反応したり、実際の光が弱すぎる場合でも広く強調して知覚したりと、生きるために必要な内容へ加工している
・この情報は外側膝状体を経て大脳皮質へ伝えられ、ほかの感覚情報ともすり合わせて認知される
・水彩錯視は輪郭における色情報が強調されることを示す
・チェッカーシャドー錯視や色の同化は視覚が単純に色の絶対値ではなく、周囲の色との比較で検知されることを示す
・カニッツァの三角形は断片的な図形情報から輪郭を再構成しようとする視覚の働きを示す
・カフェウォール錯視やへリング錯視も直行性に関する視覚が周囲のパターンによって歪められることを示す
こういった点からまず言えることは、特にドットは拡大して局所だけを見ながら制作することが多いが、最終的なアウトプットとして縮小した時点で、これらの錯視の効果を受けて、得られる印象が大きく変わることがある。なぜか歪んで見えたり、思ったより色が赤く見えたり、きっちり位置を合わせているのにずれて見えたり、である。これについて、最終的なアウトプットを上げるためには無理にドット配置の制度に拘らず、感覚的に自然に見える位置に寄せたほうが良い(感覚に合わせた補正を意図的にかける)という点である。これはフォントを制作する方は重々理解していると思うが、Oの最下部の位置をEなどと比べて少しだけ下げたり・・といった調整と同じことである。錯視について学ぶことも効果的かと思う。
また配色については上記の効果も鑑みると、絶対的な色というものが存在しないわけだから、常に同じパレットで同じような配色比率を用いないのでなければ、こだわりを持たないほうが良い。暗色や明色を統一したほうが全体の配色をまとめやすいとは思うが、特定の色が常に同じ効果/印象を持つという考えは捨てたほうがよく、同じパレットを使ったとしても配色比率を変えるだけで印象は大きく変わるだろう。
「レンズ交換式一眼レフについて」
ドット絵を打つのにカメラの必要性、ないですよね。
私も携帯以上の撮影機器を持つ必要性が全く分からなかった。
つまがカメラを持つ必要が生じたことで、オリンパスのOMDを購入したのだが、これによって
・ドット絵の印刷物
・ドット絵の刺繍
・ドット絵の技術を活用したグッズ
・ドット絵を表示した画面
などをiPhone以上に美しく撮影できるようになったため、単純に個々人の画面で表示させて終わり、以上に印刷した場合の見栄えや、ドット絵を活用したほかの表現技法について、常に意識を回すようになった。しょぼいドットのイラストであっても、それを映した画面を一眼でうまく撮影すると、一気にオシャレ感が増す。オシャレ感が増せば作品の説得力や評価をそれだけで上げることができる。
ゲーム用途などで純粋なドット絵の技術を追求している方には余計な情報で甚だ恐縮だが、そこからの出力を創作として表現する場合、一眼レフをお持ちになっても宜しいんじゃぁないかしら、と今は考えている。創作の方向性としてドット絵をデザイン側に寄せたい場合かな。
ちなみにOMDはオリンパスが売却することになった・・・レンズ資産大丈夫ですかね・・
■仕事と創作のバランスについて
現在の作業時間の比率は以下の通り。
平日:ほぼ勤務→筋トレ→就寝(創作は稀)
休日:体力がある場合、家事をのぞけば創作可能。ただし外出や資料検索も結構かかる
以前は朝5時半に起きて出社し、23時に退社して帰宅しようとしたら電車が人身事故にあい、途中から徒歩で帰って2時に就寝し、翌朝5時半にまた起きる、といった週もあり、過敏性腸炎が収まらず、白髪がものすごい増えるという謎の症状が出た。
残業については土日出て月の残業時間が80時間、のほうが、土日出ずに60時間よりも楽な感があるので、単純に時間だけでしんどさが図れないことと、それ以上に人的環境が劣悪であれば、受けるストレスは比較にならないほど多いという点がポイントだと思う。ただ人的環境に問題がなくとも、ある程度以上の拘束時間になると必ず心身の異常が出るため、心療内科(東京は激混み)に行って診断書をもらい、無心で会社に提出して勤務体制を変えるか退職したほうが、長期的に損なう肉体的損失と比べると、良い。
また体力を維持することは仕事においても創作においても極めて重要で、毎日少しずつでも時間を割いて意識的に健康維持に努めたほうが、創作に割ける時間は結果的に増えた。このため平日に筋トレが含まれている。
今はコロナでだいぶましになり、残業も月25時間程度なので、創作頻度はそこそこ上げられる。これから就職する人で、働きながら趣味で制作を続けたいという場合も、水準としてはこのくらいの時間が担保されることになるのではないか。もちろんグラフィック系の仕事に就くのであればそれに越したことはない。私が現職を続けているのは単純に絵を描くより金になるからである。
■経営と創作について
最初に述べた通り私のバックグラウンドは経路がバラバラもいいところだが、経営企画という業種との親和性が非常に高いので、それについて述べる。
そもそも今の仕事の内容は
・ある程度以上の規模の会社になると、経営者一人で会社の意思決定をする手が回らず、情報を整理したり、決定した意思を実運用する面で、人手が必要になる。この補佐にあたるのが経営企画部門となる。
・具体的な仕事としては市場調査(ニーズ及び外部技術、国家戦略や予算配分、他社の戦略や決算状況・投資計画等)、戦略立案(どんな投資して新しく事業を始めるか、どの事業をやめるか、技術や販路を目的として他社を買収するか、など)、計画策定(結局会社全体としてどのような方向に進めていくか)、計画管理(立てた計画通りに事が進んでいるかのチェック)等がある。会社によっては人事も経営企画部門に含まれるし、管理会計(自分の会社の何が儲かっていて何が儲かってないかの分析など)や広報も含めることがあると思う。
で、要は経営をするのだが、経営を簡単に言うと「現状と理想像の差を埋める行為」である。
「現状」を正しく認識すること。「理想像」を策定すること。周りも見ながら「差を埋める方法」を考えること。「差を埋める方法」を実行すること。などに分解され、これが先に書いた機能ともリンクするが、結局のところこの行為は実験計画の立案などと大枠は変わらない。さらに言うと創作の上達方法とはっきり言って同じである。
あくまでも個人的な意見だが、理想像を頭で描くのはできても、会社全体で統一したイメージを共有するのは意外と難しく、この点でデザインに強いと非常に有利である。また創作に慣れている場合は上記の考え方や課題解決(そもそもデザインという行為が課題解決だが)に慣れているため、下手に会計だけを学んだ人材よりも役に立つと思う。私は生物学から入ったが、確かにナノバイオ領域の事業もあるものの、大学の勉強よりも創作の知見のほうが100倍役に立っている。
というかこの「経営」の考え方はあらゆる課題解決に有効で、結局創作に本気で打ち込んで上達するサイクルが確立できれば、その知見は広く仕事に活かせるんだと思う。
要は創作しようぜ!という勧誘が要旨なのである。
tb: -- cm: 0
| h o m e |